1904年のモロッコを舞台に、原住民族リフ族とアメリカの国際紛争を描く。製作はハーブ・ジャッフェ、脚本・監督はジョン・ミリアス、撮影はビリー・ウィリアムズ、音楽はジェリー・ゴールドスミス、編集はボブ・ウォルフ、衣裳デザインはディック・ラモットが各々担当。
監督:ジョン・ミリアス
出演:ショーン・コネリー、キャンディス・バーゲン、ブライアン・キース、ジョン・ヒューストン、ジョフリー・ルイス、スティーヴ・カナリー、ロイ・ジェンソンなど。
- amazon : 風とライオン (1975)
- TSUTAYA DISCUS : 風とライオン (1975)
- prime video : 風とライオン (1975)
- U-NEXT : 風とライオン (1975)
- hulu : 風とライオン (1975)
- YouTube : 風とライオン (1975)
風とライオン : Wind and the Lion (1975)のあらすじ
1904年10月15日、モロッコのタンジール。その日イーデン・ペデカリス夫人(キャンディス・バーゲン)は、新任の副領事と昼食をとっていたところを、一団の馬賊に襲われ、12歳の長男ウィリアムと9歳の娘ジェニファーと共に誘拐された。一味の首領はライズリ(ショーン・コネリー)といい、王者の風格が感じられる男だった。ライズリの一団は、イーデンと2人の子供たちをリフ山脈のふもとに続く丘陵地帯に連れていった。
一方、ここはアメリカ合衆国の首都ワシントン。「アメリカ婦人、リフ族の首長ライズリに誘拐さる」のニュースは、国防長官ジョン・ヘイ(ジョン・ヒューストン)を通じ、第26代大統領シオドア・ルーズベルト(ブライアン・キース)に報告された。当時、モロッコには列強国が腰を据えていた。フランス、イギリス、オーストリア、ドイツ、そしてロシア。ルーズベルトはこの事件を次期選挙に利用しようとして、国威の昂揚をはかった。『人命とアメリカ人の財産を尊重してもらうため、大西洋艦隊をモロッコに派遣する。合衆国はペデカリス夫人を生きたまま返してもらうか、ライズリを殺すしかない』とルーズベルトは宣言した。
その頃、イーデン・ペデカリス夫人と2人の子供たちはライズリの一行とともに、砂漠と海が見える台地を進んでいた。ライズリはペデカリスに、『わしはムレー・アーメッド・エル・ライズリ。リフ族バーバリー人の統治者だ。わしこそ、回教徒の擁護者。予言者モハメッドの血はわしの体に流れている』と語った。一方合衆国のタンジールの領事ガマーリ(ジョフリー・ルイス)は副領事ドライトンを伴なって太守を訪れた。太守はモロッコで最も権力のある男で、甥にあたるサルタンの背後の実力者だ。だがその会談は不成功に終わり、領事はサルタンに会うことにした。
ランズリがイーデンとその子供たちを誘拐したのは、そのサルタンを窮地に陥れることだった。サルタンはヨーロッパ諸国のいいなりになりモロッコの民衆を苦しめているために、西欧とライズリの板挟みにし国土と名誉を取り返そうというのがライズリの狙いで、そのためのイーデン母子誘拐だった。ライズリの思惑どおり、サルタンの説得に失敗したアメリカは、海軍の艦隊をモロッコに出動させた。ジェローム大尉(スティーヴ・カナリー)の指揮下、海兵隊のライフル2個中隊が上陸、タンジールの町を行進し、サルタンの宮殿に向かった。海兵隊と宮殿の間ですさまじい銃撃戦が始まり、そしてサルタンは捕えられた。
その報せはウェザーヌの首長によってライズリにもたらされた。『太守はアメリカに提案した。スペイン銀貨で7万ペソを提供し、リフ族の領分から外国の兵隊をすべて撤退させ、ライズリとその部下たちが町へ自由に出入りすることを許す。この提案はアメリカ女と子供たちが交換条件で、アメリカのサルタン、ルーズベルトが約束した』。罠だというウェザーヌの首長と、イーデンの警告にもかかわらず、ライズリは取引きに応ずることにし、部下を従えてイーデン母子を送り届けるために出発した。エル・サラフの村で、イーデン母子はジェローム大尉にひき渡され、ライズリはドイツとフランスの軍隊に捕えられた。
翌朝、イーデン母子は海兵隊の援護をうけてライズリを救出した。と同時に、村の外に待機していたライズリの部下たちがウェザーヌの首長の指揮の下、攻め込んできた。村ではアメリカ海兵隊が、ドイツとフランスを相手に壮烈な戦いを展開しており、そこにリフ族が加わり、四つどもえとなった。ライズリ救出は成功し、彼は部下と共に去った。後日、ホワイトハウスのルーズベルトのもとに、ライズリから手紙が届いた。「あなたは風のごとく、私はライオンのごとし。あなたは嵐をまきおこし、砂塵は私の眼を刺し、大地はかわききっている。私はライオンのごとくおのれの場所にとどまるしかないが、あなたは風のごとくおのれの場所にとどまることを知らない」。